スタートライン
「寝れた?」
「まぁまぁかな」
時刻は午前1時、スマホのアラームで目を冷ます。
よく寝れた気もするし、全然眠れていない気もする。
早朝スタートのレースは、いつもそうだ。
あまりにも早すぎる就寝と、あまりにも早すぎる起床に身体が慣れるわけもなく、起きた時は身体の中がなんだかとってもモヤモヤしている。
「ご飯食べに行こうか」
「うん」
起きてすぐに、日本から持ってきたサトウのごはんと塩昆布、それからインスタントのお味噌汁を持って、泊まっていたペンション一階のダイニングキッチンに向かう。
他の宿泊客を起こさないよう、物音をできるだけたてずに、黙々と食べる。
いや、黙々と食べるのはいつものことだ。
夫は、集中モードに入ると口数が減り、どことなくキリッとした空気が漂わせる。
「スタートする頃、ちょうど雨が降るかもしれないね」
夫が天気予報を確認しながら、私にそう教えてくれた。
なんだかいつもよりリラックスしているようだ。
朝ごはんを終えて、部屋に戻り、それぞれ準備を始める。
日焼け止めとテングバーム(※)はいつもより入念に、何度も何度も身体にすり込むように塗る。
(※)テングバーム・・・皮膚トラブルを防ぐ皮膚保護クリーム
メイクは最低限にささっと済ませたら、次はテーピング。
11月に捻挫して治ったばかりの左足首、時折練習中にひねって冷やっとさせられる右足首。
「どうか、怪我しませんように。どうか、痛みが出ませんように。」
そう願いながら、どちらの足首にもテープを巻いていく。
足首が終わったら、次は膝。
韓国ではじめて42kmのトレランレースに出た時から、いつもニューハレのVテープを貼っている。
正直、これは役立っているのかわからないけれど、もうお守りと化しているから、貼らないわけにはいかない。
私のトレランレースには、そんなものばかりだ。
2年前に夫につれらてトレランをはじめ、何にもわからない時から、夫にアドバイスしてもらったことを、従順に守っている。
- エネルギー補給は40〜50分毎に一回
- MAGMA(※)は2時間に一回
- アミノバイタルは5時間に一回
- くだりの前には水分とエネルギー補給は控える
- のぼりの前には補給
- のぼりは無理せず歩く
- 前半はとにかく抑える
(※)MAGMA・・・スポーツ用青汁
この村田ルールにより、これまで出た大会は、一度もDNFしたことはない。
私にとっては、どれもお守りみたいなルールだ。
膝のテーピングを巻き終え、Tシャツにゼッケンをつけ、着替えを済ますと、あっという間にもう2時半を回っていた。
夫はというと、とっくに準備を済ませ、またベットに入って、目をつぶってリラックスモード。
「そろそろUber呼べるか確認するね」
まだスタート地点のTe Puia(テ・プイア)に向かうには少し早いが、移動のことが気になりだす。
なぜなら、宿からスタート地点までは3kmもある。
万が一、TAXIやUberが捕まらないとなると、歩かなくてはならない。
前日のRace Expoで、街の中心部からシャトルバスが出ないのか聞いてみると、「100マイルの選手?ここからたったの3kmよ?」とあっさりフラれてしまっていた。
普段なら“たったの” 3kmでも、レース前は3km“も”だ。
レース前に、無駄な体力は使いたくない。
早めにUberアプリを起動して乗車可能か確認してみると、街に2台しかないUberを10分くらいで呼べそうだった。
これで一安心。
3時15分くらいには会場到着できる頃合いをみはからって、Uberを配車し、スタート会場にむかった。
宿から5分足らずでスタート会場のTe Puiaの駐車場に到着し、車のドアを開けると、辺りにはすでに硫黄の香りが漂っている。
Te Puiaは、マオリ族の言葉で『間欠泉』。
このレース開催地であるロトルア最大の観光名所だ。
そんな場所からのスタートできるのは、トレランが旅行の延長線上にある私にとってはとてもうれしい。
「あれ、雨降ってきたかな?」
ヘッドライトが照らす光に、水滴が映り込んできた。
天気予報はアタリかぁ…と少し残念に思っていたら、そうではなかった。
突如目の前に、水しぶきの吹き出す様子が、目に入る。
その勢いよく吹き出した温泉が、雨のように辺りを包み込んでいた。
暗闇の中に、ボーッ、ボーッと吹き上がる様子は、なんとも選手の気持ちの高鳴りのようで、100マイルレースのはじまりだということを実感させてくれた。
ふと時計に目をやると、普段のレースは緊張して心拍が90〜100になるのに対し、この日は70くらい。
日常生活と至って変わらない。
あまりにも100マイルという距離が、非現実ということなのだろうか。
それとも、絶対に走りきれるという、どこから湧いているのかわからない謎の自信からだろうか。
そんなことを考えながら、過ごしていると、選手はスタートラインにというアナウンスが流れる。
いよいよだ。
夫とスタートライン先頭まで一緒に向かい、ギュッと大きなハグをする。
「頑張ってね!じゃあ、ゴールで」
そう微笑みあったあと、彼の目が一瞬にして切り替わった。
夫はそのままスタートライン最前線にスタンバイし、私はできるだけ後方に向かいスタンバイする。
HAAAAAAA!!!!!!!! ・・・・・
すぐにスタートを讃える、ハカが始まった。
会場が一瞬にして鎮まりかえる。
レース動画でこのハカを見てとても楽しみにしていたのに、後方からは全くと言っていいほど見られない。
目を閉じ、耳を澄まし、響き渡る強く美しい声色だけに耳を傾けた。
「どうか、楽しいレースができますように。」
それだけを願った。
10.9.8.7.6
5.4.3.2.1…
ハカの終わりとともに、カウントダウンで長い長い100マイルレースが幕を開けた。
抑えていたはずの前半戦。50kmまで
スタッフや選手のサポートクルー、家族や友人に見送られて、スタートゲートを潜り抜ける。
いつもより前方にスタンバイしすぎたかもしれない。
走り出してすぐにそう思った。
スタートして数キロのうちに何人もが私の後ろから前方へ抜けていく。
5キロほどのところまでくると、同じペースで走る人たちの中で、やっと定位置におさまる。
これまで出たレースのほとんどは、レース直後に道が狭くなり大渋滞を起こしていたが、このレースは、ここまでずっと道幅が広く走りやすい。
他の選手との距離を保って走れるのも、ストレスが少ない。
13.6km地点、ひとつめのエイドステーション(※)「Puarenga」に到着したのは、まだ夜明け前の5:50頃。
特にまだ何も必要ないので通過する。
同じくほとんどの選手がそのまま通過していった。
(※)エイドステーション・・・食べ物や飲み物を補給する場所
しばらく練習を休んでいたし、出国前は、いつもお世話になっているマッサージ、治療院でしっかりとケアしてもらってきた。
フライト疲れや寝不足が少し残るけれど、身体がほどよく軽い。
予想ペースよりも少し早いけれど、心拍も上がらず、気持ちよく走れているので、そのままのペースで進む。
第一エイドを出て30分くらいすると、夜が明けた。
これまで全く見えていなかったニュージーランドの大自然が、目の前に現れる。
整ったどこまでも続く林道、
背は低いけれど、生命力溢れる生い茂ったヤシの木、
森に響き渡る鳥の声。
どこを切り取っても美しく、幻想的だ。
いつか訪れたいと願い続けた国で、その自然の中を走れているだけで、幸せこの上ない。
そんなことを思いながら走っていたら、7時過ぎ、22.7kmの第二エイド「Green Lake」にあっという間に到着した。
ここではトイレだけ済ませておきたい。
複数人いる列に並び、用を足し、フードとドリンクの種類をさっと確認して、エイドを出た。
さて、次のエイドに向かおう。
次は一つ目のドロップバック(※)があるポイントだ。
(※)ドロップバック・・・各自必要な荷物を預けられる場所
ここまでドリンクはほぼ減っていない。気温と湿度ともにちょうど良く、走りやすい。
「Hi,I’m KIRSTY.」
気持ちよく走っていると、女性が後ろから私に話掛けてくれた。
彼女はニュージーランドの南島に住んでいて、はじめの100マイルレースだと言う。
私もはじめての100マイルを走るためにニュージーランドに来て、レースの後は南島に行く予定だと伝えた。
「See you later 」
しばらく並走して、彼女が先を行く。
同じくらいのペースで走っているから、きっとまたどこかで会うだろう。
8:10頃、30.6km地点の第3エイド「Buried Village」に到着した。
スタッフの方がゼッケン番号を確認してドロップバックを渡してくれる。
バックを受けとるも、普段のジョグペースで走っていたので、補給は50分に一度程度。
手元のジェルがまだまだ余っている。
念のため2、3個取り出して胸元のポケットに入れ、用意されているフードの中からポテトチップスを一枚だけ口に放り込んですぐにエイドをあとにした。
「1分早く走るよりも、エイドを1分早く出たほうが楽だからね」
夫がいつだったかそんなことを言っていたので、私もエイドでは休憩しないスタイルをこれまでのレースでも貫いてきた。
レーススピードを全く気にしないので、正直1分長がろうが短かろうが私には関係ないのだが、一度座ると動くのが嫌になるので、座らないほうが気持ちが切れなくていい。
エイドを出てすぐに、綺麗な川が出てきた。
立ち止まって写真を撮って、スグにまた走り出した。
日が昇っても、太陽は雲の中に隠れたままだ。
前日のレセプションはピーカンの青空で、とてつもなく暑かったので、走りやすい天気に感謝する。
それでも、少しずつ、気温だけは上昇している。
時間経過ともに、ウエアに汗が滲み出す。
前のエイドから、次のエイドまでは、約15km。
これまでのエイド間隔よりも少しだけ長いが、全く気にならない。
この大会はエイドが多く、全部で15箇所。
これだけエイドが多いのも、はじめての100マイルレースを選んだ理由だ。
100キロとか100マイルとか、途方に暮れそうな距離を考えずに、次のエイドまでと短く刻んでクリアしていけばいい。
次のエイドまであと少しというところで、少し足に疲労が溜まってきた感があるが、苦しいペースでもなく、心拍もいつものジョグペースを保っている。
ここまで、順調そのもので走れている。
山から湖畔のトレッキングコースに出てきてしばらくすると、45.9km地点、第四エイド「Isthmus」にたどり着いた。
ここに来て、ただただ、暑い。
大きなバケツに溜めてある水を、これまた大きなスポンジに含ませ、首からドバッとかける。
一気に身体がスッキリしてラクになる。
ここではじめて、エイドに用意されていたスイカとオレンジを頬張った。
レース中のフルーツはとびきり美味しい。
暑ければ暑いほど特にだ。
暑ければ暑いほど特にだ。
この日も、スイカの水分が身体に染み渡って行く。
胸元にある500ml×2本のボトルに入れてあった水とBCAAドリンクがそろそろ切れそうなので、ドリンクも補給しよう。
同じように、片方は水のままでいいのだが、もう片方は少し味付きのドリンクがほしかったので、エイドにあるスポーツドリンクを補充してすぐエイドを後にした。
ザックのベルトを締めながら走り出し、スポーツドリンクを口に含む。
「うわっ!!!」
驚いて、すぐ吐き捨ててしまった。
海外の着色料たっぷりのグミの味に、子供用の薬の後味。
まずい、まずすぎる。
これを書きながら、思い出すだけでも気持ち悪い。
スポーツドリンクのまずさは、海外あるある。
楽しく走っていたので、警戒するのを忘れてしまっていた。
次のエイドで絶対に入れ替えよう。
無駄にしてごめんなさい。
にしても、なぜこんな味になるんだ。
エイドのキャンディーやグミにも警戒せねば。
そんな風にドリンクに心を奪われていたら、あっという間にボート乗り場に到着した。
桟橋にはすでに10人以上が並び、次のボートを待っている。
待ち時間を飽きさせないよう、カクテルグラスにアイスとフルーツジュースでおもてなしがあった。
約1.5kmのちょっとした湖渡り。
ボートに乗れるわ距離も稼げるわで、100マイルレース中であることを忘れて完全に観光気分だ。
写真を撮って楽しんでいると、あっという間に対岸に到着し、牛たちのお出迎えを受けた。
さて、ここからが100マイルへの準備区間の始まりだ。
絶望の無限ロードと無限林道。90kmまで
さっきまでの景色とはうって変わって、ただただ広大な大地が一面に広がっている。
ここからは、桟橋で出会った日本人選手と一緒に、約4km先にあるエイドを目指す。
日本語で話せることがとてもありがたい。
ここまで、想定よりも速いペースで来ていること、
想像以上に走れてしまうコースなこと、
外国人選手がかなりハイペースでおどろいていること、
ほとんど登った感覚はないのに、意外にも累積700くらいはもう踏めていること…
一緒にここまでのレースを振り返る。
「この想定より早いペースの“貯金”が、“借金”にならないといいですよね」
100マイラーでお馴染みのトモさんの言葉を借りて、二人でそんな会話をした。
約4kmほどロードを走り、54.6km地点、第5エイドの「Rerewhakaaitu」に到着。
ここは、2度目のドロップバッグ場所。
この後、103.7km地点までドロップバックがないので、ここでの食糧補充は少し多めになる。
と、補充するよりも先にザックからテーピング取り出した。
ボートを降りたあたりから、どうもウエストあたりが擦れて痛いのだ。
距離を踏むとともにウエストが絞れ、ザックと身体にわずかなスペースができたことで、そこに走る振動があるたびに擦れが生じている。
普段ならウエストのくびれは嬉しいのに、レース中ばかりは喜べない。
スタッフからハサミを借り、ウエスト部分に応急処置のテーピングを施す。
ついでに、スポーツブラのアンダーバストあたりも擦れて痛い。
ここはいつも擦れるので、あらかじめ絆創膏を貼っていたものの、範囲が広がらないように、同じくここにもテーピングを施す。
応急処置を終えて、補給食をバックに詰め込み、スイカとオレンジを食べに向かった。
ここでニュージーランド在住の日本人選手に出会う。
前回は途中棄権だったので、今回は2度目の挑戦らしい。
「この先はひたすらロード。終わったと思ったら林道が続きますから、頑張りましょう」
そう教えてくれた。
エイド到着から10分ほどで、先ほどの日本人選手と一緒にエイドを出る。
ロードと林道が続くとはいえ、次のエイドまで10kmだ。
毎朝のジョギングと変わりなし、そう思っていた。
ところが、走れど走れど、ロードが永遠に終わらない。
足へのダメージを考えて、2人で歩きも交えることにした。
とはいえ、お互いのペースがある。
しばらくは一緒だったが、「また会いましょう」と、途中でお別れした。
1人になったとたん、気持ちがネガティヴになり、足も重くなり、ここから100km以上もあることに気づく。
歩いたはいいが、まぁ距離が減らないこと、減らないこと。
距離が減っていかない時計を見ては走り、足から疲労を感じては歩くの繰り返し。
「きっとここを走っても、いいことはない。まだ先は長いからマイペースに行こう」
そう判断して、完全に歩きに切り変えた。
日本人選手がどんどん小さくなっていく。
そういえば、抜きつ抜かれつを繰り返してきたKIRSTYの姿も、いつの間にか見えなくなった。
ここは我慢、我慢。
やっとの思いで62.1km地点、第6エイド「Okahu」に辿り着いた。
私と同じように、この区間苦しんだ人が多いのだろう。
エイドのベンチには4,5人が横たわっている。
ああ、わたしもそこで寝たい。
はじめてそう思った。
でもここで寝たら負けな気がして、スイカをかじり、ポテトチップスを1枚食べ、一呼吸。
休憩せずにエイドを後にする。
エイドを出てもまだロードが続く。
林道の影すら見えてこない。
足が思うように上がらなくなってきた。
それでもなんとか、走っては歩いてを繰り返しているうちに、やっと林道の入り口が見えてきた。
「あそこを左に曲がったら林道、そしてくだりだ!」
すこし嬉しくなった。
ところが、林道の入り口で絶望した。
あまりにも果てしなく続く林道が姿を現した。
ひたすらにまっすぐ整った林道。
ある意味、この先見えすぎていて、先が見えるがゆえに終わりが見えない。
「もう、嫌だ。」
はじめてそう思った。
そしてとうとう、足が終わりを迎えた。
たくさんの選手に追い抜かれていく。
「ああ、まだあと100kmもあるのか。」
次のエイドまでの距離よりも、ゴールまでの果てしない道のりばかりを考えてしまう。
「苦しい時もあるけど、それも含めて楽しんで」
そんな時、旦那の友人からのもらった言葉を思い出す。
なるほど、これが苦しみフェーズか。
そう頭が切り替わったと思うと、すぐに、(いやいや、この辛さをどう楽しめばいいんだ…)とツッコんでしまう。
下りなのに全く走れない。
正直ここから、第7、第8エイドまで何を考えて、どうやり過ごしてきたのか覚えていない。
ただ、辛かったという記憶だけは確かにある。
やっと思いでたどり着いた71.9km地点、第7エイド「Wihapi」。
ここではなぜか、食パンにたっぷりのNutellaを塗ってもらって食べている選手がたくさんいた。
「こんなカロリー爆弾、レース中じゃなきゃ食べれないんだから気分転換に食べてみよう」
この安易な行動が、悪夢の始まりとなる。
相変わらず走れないけれど、休憩はせずにエイドをでる。
「あれ、MAGMA飲み忘れたっけ?」
エイドを出てすぐMAGMAのことが気になりだした。
なんだか胃がムカムカするのだ。
走ってくだれていないのだから、胃は大きく揺れていない。
それなのに胃に違和感がある。
でも、胃袋の強さには自信がある。
これまでのレースで一度たりとも胃がやられたことはない。
そんなはずはないと思い、そのまま動き続ける。
「ダメだ、気持ち悪い。吐きたい。」
しばらくして、違和感は吐き気へと変わる。
レース中吐き気をもよおしたのは、はじめて。
ここで第二の絶望を味わう。
吐き気はあるけども、実際に吐くことはできない胃のムカムカ感。
このムカムカ感が強くなるにつれて、足の進みもどんどん遅くなっていく。
「Are you ok?」
あまりにも辛そうに歩いたいたのだろう。
過ぎゆく選手から、大丈夫か?と声をかけられることが多くなってきた。
はじめは大丈夫と答えるが、途中から声を出すのすら辛くなり、もはや引きつりに近い苦笑と手だけで応える。
「アリの一撃」
トモさんの名言をまた思い出す。
これはたとえば、靴紐がいつもよりキツかったとか、水をひと口多く飲み過ぎたとか、日常では何の支障も来たさないたった小さなミスが、100マイルには大きな影響を及ぼすことを比喩している。
「Nutellaは、アリだったか…」
いや、違う。
もはやゾウに蹴散らされて、痛々しいほど傷だらけな気分だ。
もしかしたらはじめての100マイルがここで終わってしまうかもしれない。
いっそのこと、ここでやめてしまおうか。
そんな考えも頭をよぎった。
ところが、やめようにも、この林道ではやめられない。
どちらにせよ次のエイドまで行くしかない。
ムカつく胃を押さえながら、足の動きの鈍さが痛みに変わった足を引きずりながら、やっとの思いで93.9kmの第9エイド「Titoki」にたどり着いた。
やめても悪夢、続けても悪夢。120kmまで
到着時間は20時を少し回った頃だったと思う。
ニュージーランドの夜は、まだまだ明るい。
このエイドで、レースはじめての休憩のために椅子に腰をかける。
ザックから胃薬を取り出し、白湯をもらって飲む。
白湯が、食道をくぐり抜けていくのがよくわかる。
身体が冷え切っていたようだ。
1分も経たないうちに、白湯を飲んだはずなのに身体が震えはじめた。
なんだか、身体の様子がおかしい。
寒さに耐えきれず、ブランケットを借り、救護ベッドで横にならせてもらうことにした。
とにかく温かいものを欲していたので、トマトスープももらった。スープと、ブランケットで、いくらか温まった気がする。
スープを飲み終えてすぐから記憶がない。
すぐに眠りについていた。
ところが、あまりの寒さにびっくりして目を覚ました。
身体の震えは止まるどころか、寝る前より酷くなっているようだった。
そして、さっきまで明るかった緑の森は、真っ黒な暗闇と化していた。
時計に目をやると。時刻は21時を過ぎている。
「やめるなら、今かもしれない」
「いや、やめるならこんな辛くなる前にやめればよかった」
そんな考えが、頭の中をぐるぐる回っている。
制限時間は、明日の午後4時だ。
あと19時間もある。
93kmを17時間で来ている。
19時間で70km進めばゴールできる。
「やめるには、まだ早いかもしれない」
そう思って、ザックのポケットから高低表を取り出し、次のエイドまでのコースを確認する。
細かなアップダウンがある、次のエイドまでの10kmの道のりだ。
ここで休んでいても、夜は深まり気温も下がっていくだけだし、震えは止まらない。
動いて身体を温めよう、そう思った。
震える手でザックに入れている必携品のタイツを取り出して、後悔を覚えた。
使うことはないだろうとたかをくくって、できるだけ薄い軽いものをと、100均の80デニールタイツしかザックには入っていない。
こんな時のための必携品なのに、なんてバカなことをしたんだろうと、悔やんでも悔やみきれない。
ちゃんと使えるものを必携すべきだ。
寒さをどれほどしのげるかわからないタイツを履き、途中から羽織ってきたウィンドシェルの上に、これまた使わないだろうと思っていたレインウェアを羽織り、ジッパーを限界の口上まで上げて外気に触れる箇所をできるだけ少なくし、手には手袋をはめて立ち上がる。
今持てる防寒着は全部着た。
そらでもガタガタ震える手を押さえながらブランケットを身体から離し、心配してくれたエイドスタッフの方に何度もお礼を言ってエイドを出た。
自分の息をレインの中にはきかけ、わずかな温もりを感じながら、前に進む。
歩みを進めるうちに、だんだんと身体が暖かくなるのを感じると同時に、震えが止まってきた。
「ああ、よかった。大丈夫そうだ」
そういえば、さっきまでの吐き気もなくなっている。
無心で次のエイドを目指した。
このあたりから、自分のGPS腕時計が刻む距離と本来の距離とのズレが、明らかにおかしくなってきて、とてつもないストレスを感じるようになる。
電池が長持ちするようにウルトラトラッキングモードにした時計のほうが、明らかに多く進んでいることになっているのだ。
そんな不正確なGPS時計が、わたしをどんどんと精神不安定にさせる。
心待ちにしているエイドが、出てくるはずのところになっても一向に出てこないのだから、イライラが止まらない。
イライラとともに、明らかに足の痛みが強まり、身体の動きも鈍化している。
次はドロップバックのあるエイドなので、エイドで何をしようか必死に考えて、イライラと痛みから逃げる。
ところが、イライラと痛みからいくら逃げても、必ず猛スピードで追いついてくる。
100マイルはメンタル競技だと聞いてきたが、本当にその通りだと、身をもっていま体験している。
「AID STATION 200 METERS」
今か今かと待っていた赤看板が見えた。
この看板が見える度に、心が安らぐ。
103.7km地点、第10エイド「Outlet」に到着。
いつのまにか、さっきまで考えていたはずのエイドワークプランは、どこかへ消えていった。
ドロップバックを受け取って、まずは椅子に座る。
選手が通過するたびに広くなっていくドロップバックが並ぶスペースには、男性が何人か横たわっているのが見える。
寝ようか寝まいか考えながら自分のドロップバックを空けると、シューズ、靴下、ウエアの上下を用意してあるが、どれもこれも使えない。
自分の体力を過信して、走れなかった時に使えるモノが全く入っていない。
唯一役立ったのは、メイバランス。
味や気分を変えるのにちょうどよかった。
メイバランスは冷え切っていたので、スタッフにトマトスープももらった。
周囲の選手はカップラーメンなど、温まるものを持参しているようだった。
わたしは、この先進むのに必要補給食だけを取り出し、ガタガタ震える身体にムチを打つように立ち上がる。
さて、次まで約8kmだ。
ここからの区間が、このレースの中で最も辛い区間となる。
膝の裏はパンパンになり、着地するごとに痛みが身体中に響きわたっていた。
時折、立ち止まってはしゃがみ、寒くなっては立ち上がるの、繰り返し。
とにかく長かった。辛かった。
静寂な夜。
前後には選手もいない。
聞こえるのは自分の足音とため息だけ。
時折、湖畔に光り輝く月が見え隠れする。
なんともいえない綺麗さだった。
写真を取りながら、電波を確認すると、ずっとなかった電波が入っている。
夫が20時間ゴール予想だったはずだと、LINEを開くと、ちょうどメッセージが入ってきた。
男子4位、総合5位で入賞したという。
嬉しい報告に、久しぶりに笑えた気がする。
夫には、設定時刻はもう無理で、制限時間にかなりギリギリかもしれないとだけ伝えて、再び自分のレースに戻る。
夫の入賞を祝うためにも、わたしはなんとしてもゴールしなければならない。
前のエイドで睡眠をとって動けるようになったこともあり、次のエイドではまた寝ることに決めた。
途方もなく遠かった8kmが終わり、111.3km地点、第11エイド「Humphries」に到着。
到着してすぐ、スタッフに寝かせて欲しいとお願いした。
何時に起こして欲しいかと聞かれ、30分後とだけ伝えて、すぐに眠りに落ちた。
と思ったらすぐに起こされた。
まだ1分も寝てないと思うけど…と、優しく気にかけてくれるスタッフにすら文句を言いたくなる精神状態だ。
こんな夜中に寒い中サポートしてくれているのに本当にごめんなさい。
にしても、震えは止まらない。
起きようにも起きられない。
起き上がれないまま、ただただ時間だけが過ぎていく。
「だれか、もう辞めなさいと言って欲しい」
そう、ずっと思っている。
せっかくここまで来たのにと、自らやめることはできないのだから。
やめる理由はたくさんあるのに、やめなきゃいけない理由はない。
やめれば、なぜやめたのかと後悔だけがきっと残る。
やめなければ、こんな身体で残りのフルマラソン以上の距離を進まなくてはならない。
やめても悪夢、続けても悪夢だ。
私は続ける悪夢を選択した。
「いってきます、ありがとう」
そう伝えてエイドを後にした。
寝たにも関わらず、身体の動きは良くなっていかない。
「前半で増やしてきた貯金は、いつの間にか完全に大きな借金と化した」
そう思った。
前半は、いつものジョグペースより、もっともっと落とさなくてはダメだったんだ。
50kmまで明らかに早いペースで進んでいたので、たっぷりの貯金があったのだが、いまや設定タイムから逆に遅れをとりだし、動かない身体という高利子付きだ。
借金を返そうとも、利子が膨らみ、借金はどんどん増えていく。
動き続けていればいつか良くなるかもしれないという淡い期待は、もう持たないことにした。
淡々と痛みに耐えながら進む。
エネルギーも消費していないので、補給もほぼ必要としなかったが、ここで本当にうごけなくなったら困る。
とにかく、できるだけエネルギーは取り続けた。
120.9km地点、第12エイド「Okataina」に到着したのは、確か4時過ぎ。
ここまできてやっと、残り40km強。
フルマラソンのスタート地点に立った。
時間と自分と戦う。 100マイルのゴールまで
とにかくスタッフの方のサポートが手厚い。
たくさんの人が気にかけてくれて、椅子に座ると、ドロップバックもプランケットも温かいチキンスープも出してくれた。
優しさが心にも身体にも染みる。
制限時間が気になり出しているので、補給食だけをザックに入れて出るつもりだったが、椅子で座りながら気を失ったように、寝てしまったらしい。
声を掛けられて寝ていたことに気付いた。
言われるがままに、救護ベッドに移動し横になると、すぐに暖かい湯たんぽを持ってきてくれた。
耳で体温を測ってくれているな〜と気付きながら、暖かさに癒されて、いつのまにか眠りに落ちた。
トントンっと肩を叩かれて起こされると、いつの間にか辺りは明るくなっている。
「あと15分でこのエイドを閉めるけれど、あなたはどうする?」
そう聞かれ、びっくりして飛び起きた。
ただでさえギリギリで進んできたのに、まさかのカットオフタイム15分前まで寝てしまった。
「行きます!ありがとう!」
急いで靴を履いて、ザックを背負って、逃げるようにエイドを出た。
ここから、このレース一番の登りに入る。
足は大丈夫だろうかと心配とは裏腹に、よく登れるではないか。
寝たのがよかったのか、
湯たんぽで身体が温まったのか、
夜が明けたからなのか、理由はわからない。
ひとつ確かなのは、制限時間に超ギリギリになったことで、スイッチが入った。
抜かれ続けていたはずだが、どんどん抜き返していく。
そんな中、くだりに入ると、女子2人組に追い抜かされた。
「え、そのスピードで、下れるの?」
120km以上走ったとは思えない身軽さだ。
1人は明らかに元気な様子だったので、ペーサー(※)が付き出したことに気づいた。
(※)ペーサー・・・途中から選手と一緒に走ることを許される人
「このペースを借りて、一度ついて行ってみよう。」
自分の中にスイッチをいれて驚いた。
あれほど下らなかったのに、くだれるではないか。
くだりのお手本が目の前にあるので、同じ動きを真似すると、同じペースでくだれるのだ。
ペースアップにより、足のピッチが回復して、接地時間が短くなったので、足の痛みも和らいでくれた。
この調子で、できる限りついていくことにした。
いよいよ、太陽が顔を出してきた。
気温は20度はあるだろう。
それでも寒くてレインは脱げないし、タイツも脱げない。
当然汗もかかない。
明らかに身体がおかしいが、そんなことも気にしていられない。
ただ、彼女たちについていく判断がよかった。
次の第13エイドの、そのまた次の第14エイドのカットオフタイムは12:30。
このまま行ければ、なんとか間に合いそうだ。
そこまで辿り着ければ、ゴールまでもう関門はない。
137.3km地点の13エイド「Millar」は水だけの補給にした。
時間がないからと水だけ補給してすぐに出ようとすると、何か食べていかないのか?本当に大丈夫か?と心配される。
もう一度、ギリギリだから行かなきゃいけないと伝えて出ようとすると、さすがに暑いからレインだけは脱ぎなさいとすすめられ、それもそうだとレインを脱いですぐに出た。
進み続けるごとに、到着予想が3時50分、45分と早まっていく。
相変わらず登りの方が痛みなく早く進めるので、登りよこい!とばかり願って、競歩のように腕を振って足を前に出す。
次の関門エイドを目指していると、実距離とGPS時計計測の距離にいよいよ15km以上違いが出てきたので、ここから時計の画面を、残距離と到着予想時刻に変更した。
到着時刻は、3時57分となっていることに気が付いてびっくりした。
あれだけ頑張っても何の猶予もない。
止まったら負けだ。
このレースの後は、南島に移動して、レースの完走を祝う前提で旅程を組んでいる。
クイーンズタウン近くのワイナリーでは、ワインペアリングと分子系創作料理のディナーコースを予約しているし、
ミルフォードサウンドでのオーバーナイトクルーズは、通常より倍くらいの値段の客船まで予約済みだ。
100マイルのご褒美だからいいよねと予約したのに、まさかの制限時間に間に合わないとなれば、どんな心境で旅を過ごせばいいのかわからない。
夫もせっかく入賞したのに、その喜びを味わえないことにしてしまう。
自分が頑張れば最高になる旅を、絶望の旅にはしたくない。
もうその一心で進み続ける。
149.1km地点、第14エイドの「Blue Lake」に到着したのは、12:20の関門ギリギリだった。
ドロップバックはスルーして、防寒に来ていたタイツを脱ぎ、すぐにエイドを出た。
あと16キロで3時間半。普段なら余裕の距離と時間が最高にハードルが高く感じる。
関門に間に合ったことを夫に報告し、「あと少し、あと少しだ」と自分に言い聞かせながら休むことなく、必死に足を前にやる。
ここから、サポートの方々が増え、トレッキングを楽しむ人にもすれ違うようになり、湖畔に出ると、気持ちよさそうに日光浴している人にも出くわすようになってきた。
「well done!!」
「awesome!!」
すれ違う誰しもが、拍手とともに声援をくれる。
その声援に元気をもらうも、疲労困憊で手で応えるのがやっとだ。
湖畔では、砂浜に足を取られ、山の中では、何ともないところでつまづく。
もう気力だけで動いている。
とにかくつらいのだが、泣くエネルギーすらない。
「大丈夫!行ける!」
エイドを出て、そう夫からメッセージが返ってきていることに気づいた。
表彰式に出ているはずの夫も気が気ではないのだろう。
すぐにメッセージが帰ってきていた。
ゴールは手の届きそうなところにある。
やれないことはない。
そこからは、とにかく走ることに集中した。
周りの方はペーサーをつけて元気に走れるようになってきている。
そして、ほぼ全員がストックを持って走っていて、自分よりも楽に進めているように見えた。
私にはどちらもないが、彼らに着いていけば必ずゴールできるはずだと思って、他の選手から離されないようにする。
電波の弱い区間に入ると、とたんにGPS精度が狂って、到着予想時刻は16:00を過ぎてくる。
不安と安心を行ったり来たりしていた。
夫から追加のメッセージで、最終エイドからフラットな場所を6.9km走ることを知らされた。少
なくともこの区間に60分は欲しいところ。
まだまだ、ギリギリの戦いだ。
ようやくゴールできることが確信に変わってきたのは、そのフラットな区間にはいる直前。
ロトルアの街が見える山から、ラストのくだりに差し掛かるときだ。
時刻は14:40を過ぎたところ。
スタッフの方が、ラストのエイドまでは1キロの下り、そこから7kmだと教えてくれた。
「いける!」
とにかくくだりの衝撃と痛みはひどいが、もうこれも最後だ。
痛みに耐えながらくだると、大きな公園の駐車場あたりにエイドが見えてきた。
エイドが近くにつれて、どこか見覚えのある人がこちらに手を振りながら走ってきた。
夫だ!!
ゴールにいるとばかり思っていたので、驚きを隠せない。
ゴールでじっと待ってはいられなかったようだ。
私の身体中、どこを探してもエネルギーなんて残っていないはずなのに、いきなり足が上がるようになり、自然とペースが上がった。
これまでペーサーがレースに必要なことがあまり理解できていなかったが、これがペーサーをつける意味かと、妙に納得した。
「走れてるよ!絶対大丈夫!間に合う!」
夫にそう声を掛けてもらって、またチカラが湧いてきた。
夫は一眼レフを抱え撮影をしながら、500mくらい並走してくれて、ゴールで!と手を振って別れた。
ここからは、7:00/km台のペースで走った。
今日まで毎日走り続けてきた意味が、ここにあった気がする。
ゴール手前100メートルくらいから、たくさんの人が出迎えてくれる。
味わったことのない、達成感と充足感に満たされてくる。
それを噛みしめながら、ハイタッチをしながらゆっくりゴールした。
所要時間は、35時間34分。
つらく長い、はじめての100マイルが終わった。
これでついに私も100マイラーだ。
夫につられて山を走り出し、世田谷から高尾に引越し、約2年。
まさか自分が、100マイルを走るなんて想像していなかった。
そして、100マイラーになれるなんて思ってもみなかった。
トレイルランニングは不思議なものだ。
35時間中、約30時間も辛い思いしかしていないのに、ゴールして30分も経てば、そんな辛かったことなんて、すっかり忘れている。
むしろ、あぁ、楽しかったくらいにさえ思っている。
今、この記録を記しているニュージーランドの旅行中には、すでに秋レースはどうしようかというの話が大半だ。
私は、異国の知らない土地を走ることにワクワクドキドキする。
必ず何かハプニングが起こるので、それも思い出として色濃く残る。
次もまた、見たことのない景色を見てみたい。
さぁ、次はどこへ行こうか。
100マイルでの学び
- はじめての100マイルはストックがあったほうがいい
- できればペーサーをつけれると、気待ちを切り替えて、もう一段がんばれそう
- 100キロとは訳が違う。長すぎる、気をつけろ
- GPS時計は通常モードで走り、充電器とケーブルを持って走った方がいい、無駄にメンタルを持って行かれないで済む
- 必携品を侮ってはいけない
- 100マイルはジョグペースで前半走るのでは早すぎる
- ドロップバックやサポートがあれば、夜のエイドには数種類の暖かい食べ物を用意した方がいい
- 普段食べ慣れないものや飲み慣れないものは、エイドでは手をつけないのがベター
- 100マイラーになると、ちょっとばかし、世界が変わる
- 冷静に考えて、人が走る距離ではない
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