8年間勤めた会社を離れるにあたって、執筆記事と共に自分の足跡を振り返る

2010年の創業期から8年以上勤めた会社を離れることになった。
やはり思い入れが強いのは、最後の2年間。2016年夏のメディア立ち上げから、約2年間関わってきた働き方メディア「Fledge」。

会社と「Fledge」を離れるにあたって、自分の歩んできた道のりと書いてきたものを振り返る良い機会になったので、執筆させていただいた記事をまとめながら、この2年間を振り返ってみる。

 

29歳の転機

そうそう、今思い起こせば、2016年。年齢は28から29歳になる頃だろうか。
いろーんなことが重なって、とにかくモヤモヤする毎日を過ごしていてた。

「え!?もう30歳じゃん」
「結婚するの?結婚したら子供か。仕事ってこのままでいいんだっけ?自分のやりたいことってなんだろう。」

どうしよう。
どうしよう。

なんだかよくわからないけれど、毎日焦燥感に駆られていた気がする。
この、どうしようどうしよう病を、「29歳病」と勝手に名付けて読んでいたっけ。

考えても考えても答えが出ず、自分ではコントロール出来ない涙する日々が続いて、エイヤッ!と出した答えが、世界を旅すること。その時の気持ちを、ここ【働き方を通して生き方を見つめ直したら、自分の人生が少しづつ動き出した】で綴っている。

 

これを決断するにあたっては、記事執筆を通してたくさんの後押しのメッセージをもらった。

 

「自分がいいと思えばそれでいい」

【海外で教師をされていた久野愛子さん:個人インタビュー】
海外で働いてみてわかった、自分らしく生きるために大切なマインドとは

 

自分が笑顔になれる方を選ぶという「スマイル基準」

 

フリーランス広報コンサルタントの味岡さんのイベントレポートを書かせて頂いたこともあった。
味岡さんに習った「マイルールをつくる」という考え方は、後々ひとり旅中に役立つことになる。

 
 

私が実現したいと思っていた「旅する働き方」を、すでに実施しているイキゴトさんにも取材させていただいた。

 

数々のメディアや情熱大陸で彼女の存在を知り、著書を読み【今のままでいいの!?仕事と人生にモヤモヤしていたら読んでほしいcrazy wedding山川咲さんの言葉】、どうしてもお会いしたかった女性、crazy wedding創業者の山川咲さんへのインタビューも実現した。

世界を旅する!と決めてから望んだ、CRAZY社のインタビューでは、インタビュー中、思わず胸が熱くなって涙した。

それは、「意志のある人生を生きよう、もう手放すのは絶対にやめよう」と話す山川さんは、私と同じように旅に出て人生を変えた一人だったから。彼女の言葉一つ一つが、心に突き刺さり、勇気をもらった。

 

働き方の一つに、「プロボノ」という選択肢があることも知った。

 

旅に出る直前にインタビューさせて頂いたダンクソフト社。どのようにして多拠点でのリモートワークを実現しているのかという体制は、日本を離れるにあたって、とても勉強になった。

 

当時話題のサテライトオフィス取材では、島根・鳥取・徳島県にお邪魔した。自分が生まれ育った場所と同じような自然豊かな土地では、やはり心が休まった。

 

 

3ヶ月間のハワイ暮らしと海外取材

旅行で何度も訪れたことのある場所だけれど、きっと旅行で見る景色と住んで見える景色は違う。それでも一度は住んでみたい。そう思ってハワイに飛んだ。
暮らすことは、想像していたよりも楽しかったし、想像していたよりも大変だった。そして、悲しい事件にも巻き込まれた。

そんな時に出会ったのが、急遽ホストファミリーとして受け入れてくれたMAYUMIさん。
彼女と彼女の家族、ルームメイトと過ごした時間は、何にも代え難い時間になった。

 

3ヶ月ちょっとの留学予定だったけれど、サンディエゴの学校へ転校手続きをして、メインランドに飛んだ。
ワークスアプリケーションズ社のインターンシップの取材をするためである。

「これからの世の中、どんな能力が必要になってくるのか、気づきを得てほしい」というシリコンバレーでのインターンシップは、教育のあり方を考えさせられた。

 

このインターンシップ取材をきっかけに、「世界で自分の将来を考える旅」というプログラムを提供するGood Try JAPANの中野さんに話を聞く機会を頂けた。
「自分らしさは、経験からしか生まれない」という言葉は、私の動き続ける原動力になった。

【一般社団法人Good Try JAPAN:企業インタビュー(インタビューワーのみ)】
社名は子ども達へ贈るエール。より早い意識改革は日本を変える── 一般社団法人Good Try JAPAN

 

シリコンバレーでの取材を終えた後は、再びハワイに戻った。
そして、ハワイ島で人生初のフルマラソンに出場して、旅の準備のために帰国した。

 

一時帰国、体調不良、旅の準備、そして出発

当初、日本での滞在は1週間を予定していた。
ハワイに持っていった荷物を半分ほどに減らしたら、すぐに出発するはずだった。しかし、体調がすこぶる悪く、航空券を取る気にはなれなかった。その時の心境もここ【SHORT STORIES これから世界一周が始まるというのに…】に綴っている。

そのまま1ヶ月ほどの休養をし、予定を変更して、会いたい人に会いに行くことにした。そしてアメリカはテキサス、メキシコ国境まで目と鼻の先にあるマッカーレンという街に向かった。

友人の親友である裕美さんの「そのままそこに留まっていたら何も変わらないし、何かしなきゃダメ」という言葉は、当時の私にはとにかく響いた。それが記事からも伺える。

 

裕美さんの言葉に後押しを受けて、やっと、ここから本当の旅がスタートした。
時を同じくして、高校の友人も世界一周に旅立った。「ナゼ旅に出るのか」当時の気持ちをここに記している。

 

裕美さんたちと楽しい時間【SHORT STORIES ── Steven is Steven】を過ごした後は、裕美さんの旦那様の知り合いに日本人でバイクショップで働く男性がいるとのことで、彼が働くお店を訪ねてインタビューさせてもらった。

 

そして次に向かったのはロサンゼルス。

日本人ママコミュニティを主催し、現地商社で働くYukiさんにインタビュー。「マインドを切り替えられたら日々の生活も劇的に変わってくるし、やり方を少し変えてみるだけで生活は豊かになる」という言葉に、何事も考え方捉え方一つだと、改めて心に刻み込んだ。

 

そして、シリコンバレーで知り合った方に連絡をとって取材をさせて頂いた。
日本を飛び出し、アメリカで事業を興したお二人。車社会に象徴されたアメリカの自由主義とは、とても面白い視点のお話だった。

 

詩織さんも、日本の「単一」文化が肌に合わず日本を飛び出した女性のひとり。
海外で暮らすということは、「マイノリティである自分の立場を理解して、さらには異文化を理解し受け入れる。そしてそれに適応していくことだ」と教えてくれた。
そして、一人で旅をする私に、たくさんのサポートと温かさをくれた。

 

語学学校で知り合った友人に会うために、サンディエゴに戻ってきた。
ダウンタウンの駅構内で、ふと日本語雑誌が目に入る。すぐに編集部に連絡し、この聡子さんへのインタビューが実現した。
「自分で変えられることなら動けばいいし、変えられないことであればどうやったら受け入れられるのかを考える」と話す彼女にも、そこに至るまでのドラマがある。

 

アメリカの南側から北側へ大きく場所を移し、友人を訪ねてシカゴに向かった。
次にインタビューさせてもらったのは、友人が通う大学の大学教授。
全て自分で判断しているわけではないと話しつつも、「今置かれている環境で、できることは精一杯やる」という姿勢を見せていただいた。

 

次に向かったのはボストン。ボストンといえば、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学がある学術都市。
そこでインタビューさせて頂いたのは、日本人留学生のサポートをお仕事とする雪衣さん。
「留学は、大変だからこそ、人間としてすごく成長する機会でもある」と話す彼女も、留学で人生を変えたひとり。

 

そして、アメリカ旅最後の場所、ニューヨークへ。

同い年で、私の友人の同期でもある小百合さんへのインタビュー。日本の大企業という安定を捨てて、今ではニューヨークで働くママだ。
「時間もお金も投資したのに、何にもならなかったら自分にとって損になる」と話す同い年の女性の言葉は、やはり刺激になる。

 

天真爛漫という言葉は彼女のためにあるのかと思うほど、とても明るく活発な女性、Yurikoさん。
幼少期をカナダで過ごし、思春期にはコンプレックスをかかえた彼女だったが、自分のアイデンティティを一番発揮できる場所を見つけて、たった一人でニューヨーク支社を支えている。

 

ニューヨーク支社を一人で立ち上げた、ワークスアプリケーションズ社の寳槻さんにも、再びお会いすることができた。高校にも塾にも通わず京大に進学し、世界各国を飛び回っている。
これから世界を舞台に戦っていたいのであれば、「問うチカラ」を身につけよ!とアドバイスをもらった。

 

日本を離れて2ヶ月が経った。

その土地の食を楽しんではいるものの、日本食が恋しくなる。
そんな時、海外で食べているとは思えない程、美味しいうどんに出会った。
美味しい日本食を作っているオーナーさんは、やはり素敵な方だった。
自分が居て心地よいと思える場所しかつくらないと言う。ブルックリンの人気店たらしめる理由が、きっとそこにあるんだと思う。

 

ニューヨーク滞在の拠点にしていたドミトリーでは、とても素敵な出会いがあった。

美容師として挑戦する息子を応援する、お母さんだ。
そのお母さんと仲良くなって、息子さんをインタビューすることができた。

「出逢ってくれて、ありがとう」
最後にこんな言葉のプレゼントが待っていた。

 

その言葉を胸に、日本に再び帰国した。
私にとって大事な大事なイベントを日本で迎える。

 

 

一時帰国・結婚・再出発

結婚をするために、一時帰国をした。
きっと旅に出ていなかったら結婚していなかったかもしれないと、今でも思う。

でも、まだ旅は終われない。
いつもの片道チケットではなく、今度は往復チケットを買って、スペインに旅立った。

スペインリーグに挑戦する、同い年のフットサル選手を、スペイン内陸部の田舎町まで追いかけた。
取材日は、所属チームを決める大事な試合に出場していた。言葉も通じない異国の地で頑張る人は、やっぱりカッコイイ。

 

大好きなイビザ島では、現地コーディネーターをされる史江さんにインタビューさせて頂いた。
「やって後悔するのはいいけれど、やらずに後悔だけはしたくない」 と、結婚する前に日本でやりたいことを済ませてからイビサに来たそう。
なんだかちょっぴり自分と重なった。

 

ロンドンでは、ママ支援コミュニティを運営する薫さんにインタビューさせて頂いた。
駐在妻としてロンドンにやって来た彼女が、自分らしさを取り戻すには、自分が自分として生きられる場所が必要だったと言う。
「日本にいなかったら送らなかっただろう人生を、一生懸命楽しみたい」と話す彼女の目は、自分の置かれた環境で目一杯楽しんでいた。

 

ドイツの音楽都市ミュンヘンでは、声楽家の髙木さんにインタビューができた。
「感謝を、ほんの少しずつでいいから周りの人に返していく。自分の人生を豊かにするのは、そんなことの積み重ね」彼はそうやって、所属する合唱団で芸術顧問を務めている。

 

ヨーロッパでのあと4名のインタビューは随時公開させていただく予定。

こうして振り返ってみると、私が必要な時に必要な言葉を頂いているなと感じる。
これらのインタビューのどれが欠けても、きっと今の私はいないと思える程、どれも思い出深い。

メディア運営に携わらなかったら、旅に出なかったら、きっと出会わなかったであろう方々に出会えたことが、何より嬉しくて有難い。

これまでそうして来たように、誰かのストーリーに寄り添う仕事がしたいと、これまでの記事を振り返りながら、今はそんな心持ちでいる。